1973年のこの日、エジプト陸軍が、イスラエルが防衛線に設定していたスエズ運河を渡ってイスラエル軍を奇襲し、第四次中東戦争がはじまりました。
エジプト軍はエジプト・アラブ共和国の軍隊。正規軍はエジプト陸軍、エジプト海軍、エジプト防空軍で構成され、2010年11月見積もりの総兵力は468500人。予備役479000人と、アフリカ大陸における最大の軍隊です。
正規軍以外にも内務省が管轄する中央治安部隊325000人、国境警備隊12000人、国防省が管轄する国家警備隊60000人等の準軍事組織が存在しています。
イスラエルにも匹敵する軍事力を備え、アラブ諸国では唯一偵察衛星を保有する国家。
北大西洋条約機構の参加国ではないが、強力な戦略的パートナーであり、地中海対話にも参加しています。
軍の装備はアメリカ、フランス、イタリア、イギリス。旧ソ連および中華人民共和国等のもので構成されています。元々装備は旧共産圏製で占められていましたが、イスラエルとの和解後はアメリカ等西側諸国製の装備が主流になりつつあるようです。
エジプト陸軍は旧共産圏製の旧式化した装備から、アメリカを中心とした西側製の近代的な装備へと更新を進めています。
戦車に関しては、M1エイブラムス1005両、M60パットン1435両、T-62 550両、T-54/T-55 500両、ラムセス2世260両等、4000両近い数を保有しています。
ラムセス2世ってどんな戦車だろ?みたことないです^^;
ラムセス2世とは古代エジプト第19王朝のファラオです。そんな名前を付けた戦車って強そう^^
写真は湾岸戦争に参加したM60A3戦車です。
中東戦争とは、ユダヤ人国家イスラエルと、周辺アラブ国家との間の戦争のことで、1948年から1973年までの間に大規模な戦争が4度起こっています。それぞれは第1次~第4次に分類されます。
アメリカ・イギリス・フランスがイスラエルに、ソ連がアラブ側に対して支援や武器供給を行っていることから、代理戦争の側面も含んでいます。ただしイデオロギーよりは中東地域における利権や武器売買などの経済的な土井気が重きを占めていたようです。
そのため初期にはイスラエルに支援や武器供給を行っていたイギリス・フランスは第3次中東戦争以降石油政策などからアラブ側に周り、さらに中華人民共和国やイラン革命後のイランが武器供給や軍事支援においてアラブ側に入り込む等、大国や周辺諸国の思惑の入り混じる戦争でもあります。
また、双方の宗教の聖地であるエルサレム、へブロン等の帰属問題の絡んだ宗教戦争の側面もあります。
第4次に関しては、1973年10月6日、エジプトが前戦争での失地回復のため、シリアと共にイスラエルに先制攻撃をかけ、開始されました。
ユダヤ教徒にとって重要な贖罪日の期間であり、イスラエルの休日でした。イスラエルは軍事攻撃を予想していなかったため対応が遅れたといわれています。一方エジプト、シリア連合軍は周到に準備をしており、第3次中東戦争で制空権を失ったために早期敗北を招いた反省から地対空ミサイルを揃え、徹底した防空体制で地上軍を支援する作戦を取ります。この「ミサイルの傘作戦」は成功し、イスラエル空軍の反撃を退けイスラエル機甲師団に大打撃を与えることに成功しました。緒戦でシナイ半島のイスラエル軍は大打撃を受けたことになります。
そしてエジプト軍派スエズ運河を渡河、その東岸を確保することに成功しました。
10月11日よりイスラエル軍による反撃が開始され、シリア軍およびモロッコ、サウジアラビア、イラクの応援軍を破りゴラン高原を再占領することに成功。シナイ半島においても10月15日より反撃が開始され、翌16日にはスエズ運河を逆渡河、西岸の一部を確保しました。ここに至り国際社会による調停が実り、10月23日に停戦となりました。
なお、アラブ各国はこの戦いを有利に展開するため、イスラエルを援助する西側諸国に対して石油戦略を発動、世界でオイルショックを引き起こしました。
さて、10月最初の終末、いたるところでお祭りをやってるみたいですね。
さっきから花火の音がずっと聞こえます^^
ホント、町内のお祭りとかでも派手ですもんね~~。ビックリしちゃいます。
お祭り、ここのとこ行ってないな~。。なんとなくあの雰囲気を味わいに行きたい気もするww
屋台とか出てたらいうことなしですよね♪お好み焼きにたこやき・・・食べたいなww