2月18日は「冥王星の日」

1930年のこの日、アメリカ・ローウェル天文台のクライド・トンボーが1月23日と1月29日に撮影した写真との比較研究から、太陽系第9惑星・冥王星を発見しました。

2月18日は「冥王星の日」


内側の天王星の運行の乱れからもう一つの惑星、すなわち太陽系の一番外側の惑星の存在は予言されていましたが、予想を遥かに下回る15等星という暗さのため、発見が遅くなったんだそうです。

その暗さから、ギリシア神話の冥府の神に因んでplutoと名付けられました。

2006年に「惑星」の定義が定められ、冥王星は惑星ではなく準惑星に分類されることになりましたが、この年はトンボーの生誕100年だったそうです☆

冥府の王・・・は「ハ-デス」じゃなかったっけ?ww





2月18日は「冥王星の日」

さて今日は我らが日本の戦車、八九式です!!

八九式中戦車は日本陸軍初の国産戦車です♪


1925年から1935年まで、日本には軽戦車と重戦車の区分しかありませんでした。。

・軽戦車  ルノー戦車に類するもの・10t以内(ルノーFT-17軽戦車)

・重戦車  英国中型戦車に類するもの・20t以内(マークAホイペット中戦車)

と決められ、日本は軽戦車を主力に戦車隊を作ることにし、軽戦車よりも重い戦車は重戦車に分類され、数は少ないけれど軽戦車を補完する役割でした。

そこで、新たに10t程度の軽戦車を開発することを決定、試作1号戦車の成果を基に1927年の輸入したイギリスのビッカーズC型中戦車を参考・模倣・改良して開発することになりました☆

開発は陸軍技術本部第4研究所で1928年3月に始まり、概略設計図面が出来上がるとすぐに陸軍造兵廠大阪工廠に発注されます。

1929年には試作車が完成、秘匿呼称のイ号とも呼ばれていたそうです。

ちなみにイ号は八九式甲/乙型・ロ号は九二式重装甲車・ハ号は九五式軽戦車だそうです。

1929年10月には東京~青森間660kmの長距離運行試験に成功し、試作車の完成年を皇紀で表した皇紀2589年から、八九式軽戦車として仮正式化されました。

最初の試作車は予定通り9.8tに収まったため軽戦車に分類されますが、部隊の運用経験等からたびたび改装され、最終的な完成形では11.8tと、10tを超えてしまいます^^;また、八九式よりも軽量な九五式が開発されたため、新たに中戦車と言うカテゴリーが設けられ、1935年に中戦車に再分類されました^^


作中ではバレー部チームが乗ってましたね♪車体側面、履帯のスカート部分に「バレー部員募集!」という文字が入ってましたw

日本戦車らしく、リベットが印象的な戦車です☆

ちなみにガソリンエンジン搭載型が甲型、ディーゼルエンジン搭載型が乙型と分類されます。


そう言えば大洗女子の生徒会長、角谷 杏が言ってました・・・

「孫子も言ってるしな、”兵は拙速を聞くも いまだ朽久なるを睹ず”。だらだら長引けば国家国民のため良くない。戦いはちゃちゃ~と終わらせた方がいいんだよ、ね?西住ちゃん」

そのまんま、わかりやす~~く孫子の兵法を説明してくれてますw



じっくりと責めるのも大切ですが、勢いで一気に攻め込むことも大切ですよね、何事も☆



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