3月5日は「スチュワーデスの日」

1931年のこの日、東京航空輸送が実施した日本初のスチュワーデス採用試験の結果が発表されました^^

「エアガール」という呼び名で募集され、2月5日に試験が行われました。140人の応募に対し、合格者は3人だったそうです^^

乗務したのは東京ー下田ー清水間の定期旅客路線でした。


3月5日は「スチュワーデスの日」1950年代は日本航空が1951年に、ローカル線運行をする日東航空や日本ヘリコプターが1952年に開業していますが、旅客機は運賃が高額だった上に、第2次大戦以後連合国の占領下で長期にわたり海外渡航が自由化されておらず、占領終了後も外貨流出を防ぐため国際線の乗客は渡航許可を受けた政府関係者や企業の業務出張者、留学生や外国人に限られていたようです。写真は1950年代の日本航空の客室乗務員デス^^

1960年代には日本では客室乗務員が高いステータスを付加されたようです。日本航空などの一部の航空会社では入社時に家柄なども考慮されたことや結婚の際に条件の良い相手に巡り合う機会が多いと考えられてきたこと、また、給与など待遇が一般企業のOLに比べて格段に良かったことなどが理由のようです。

1970年代になると大型機が導入され、それに伴い機内映画の上映や座席オ-ディオ、ハイテンプオーブン等の最新設備が次々に導入され、機材が大型化、又超長距離の無着陸飛行が可能になったことで客室乗務員の機内外における仕事も大きく変わることとなったようです。


私たちの時代の客室乗務員と言えばやっぱり松本ちあきでしょうかねww

「スチュワーデス物語」、面白かったw今見ると、こっぱずかしくてみれんけどねwww


小中と海外生活だったため、飛行機も乗りましたが・・・(いわゆる超長時間飛行ですよね^^;)子供の頃っていいのかも。なんだかんだ飽きないもんね。走り回って疲れてとりあえず寝てwはしらずとも機内をうろうろ・・・。それを見つけると大抵スチュワーデスさんがコックピットに連れて行ってくれます♪

あの頃でも狭いな~と思ったんですが、今はもっと広いんでしょうかね^^機長や副機長は大抵いい人です^^一度記念写真を撮ってあげるといわれてシャッターを切ってもらいましたが、あれって、やっぱり機密なんですね。わざとピンボケになってました^^;でも、そうやって相手をしてもらうことで、長時間の飛行機の旅がとても楽しいものになったのを覚えています。

海外だと、着陸時にほとんど振動がなかったりすると、乗客が立ちあがって拍手するんですよね「ブラボー!!」って^^「おい、シートベルトは!?」って思うんですがwwほぼ全員デス。。

もう一度飛行機乗りたいな^^


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