女の子の健やかな成長を願う伝統行事デス^^女の子のいる家庭では雛人形を飾り、白酒・菱餅・あられ・桃の花等を供えて祀ります。
上巳の日には、人形に穢れを移して川や海に流していましたが、その人形が次第に精巧なものになって流さずに飾っておくようになり、雛祭りとして発展していったそうです。
雛祭りははじめは宮中や貴族の間で行われていましたが、やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代には庶民の行事となります。
元々は5月5日の端午の節句とともに男女の別なく行われていましたが、江戸時代ごろから豪華な雛人形は女の子に属するものとされ、端午の節句は菖蒲の節句とも言われることから「尚武」にかけて男の子の節句とされるようになったんだそうです^^
起源説は複数存在しているようですが、平安時代の京都ですでに平安貴族の子女の雅な「人形遊び」として行われていた記録が現存しているそうです。
その当時においても小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられています。はじめは「あそび」で、儀式的なものではなくそれゆえに雛遊びの名称の由来がありました。しかし平安時代には川に紙で作った人形を流す「流し雛」があり、「上巳の節句(穢れ払い)」として雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られるようになったそうです。
雛人形は宮中の殿上人の装束(平安装束)を模しています^^
・親王(男雛・女雛)
それぞれ天皇・皇后をあらわします
・官女(三人官女)
宮中に仕える女官をあらわします。3人のうち1人はお歯黒で眉なしなんですって。これは既婚者を意味しますが、生涯独身の女官の場合には年長者と言う意味だと思われます
・五人囃子
能のお囃子を奏でる5人の楽人をあらわし、それぞれ太鼓・大鼓・小鼓・笛・謡(扇を持っている)です
・随身
随臣右大臣と左大臣と同時に衛士でもあります
・仕丁
従者をあらわします。通常3人1組です
メーカーによっては以下の追加があります
・三歌人
柿本人麻呂、小野小町、菅原道真
・能の鶴亀
・稚児2名
配置は男雛を右(向かって左)に配置する家庭が多く、それが一般的になっていて結婚式の新郎新婦もそれに倣っています^^地域差もあるみたいですね^^
壇上の内裏雛は内裏の宮中の並び方を人形で模すことがあります。かつて日本では左が上の位だったんですって。人形では左大臣(雛では髭のある年配の方)が一番の上位で天皇から見ての左側にいます。飾り物の「左近の桜・右近の橘」での桜は天皇の左側にあり、これは宮中の紫宸殿の敷地に実際に植えてある樹木の並びだそうです。明治天皇の時代までは左が高位という伝統があったため天皇である帝は左に立ちました。
しかし、明治の文明開化によって日本も西洋化し、その後に最初に即位式を挙げた大正天皇は西洋式に倣い右に立ったそうです。それが皇室での伝統となり、近代になってから昭和天皇は何時も右に立ち、香淳皇后が左に並びました。それに倣い、多くの地域では男雛を右に配置するようになったんだそうです。
社団法人日本人形協会では昭和天皇の即位以来男雛を向かって左に置くのを「現代式」、向かって右に置くのを「古式」としています。